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固執

ちょっと気持ちがおさまらないので独善的な意見を展開してみる。
「お前だって少なからず固執している部分があるぞ」という批判は甘んじて受けますので。
長くて読みづらかったりするけど、気にしないでください。走り書きしました。

僕の通う大学の教授は、左に偏った方が非常に多い。
別にそれが悪いことだとは思わないが、授業中に毎回口うるさく市場主義批判・自由主義批判を展開するのには閉口してしまう。
彼らの言うことは、至極もっともである。僕も納得している。
ただ、それはもっともだという以上の何者でもない。
さらにそこには、僕は知識において絶対的に不利にあるため明確には指摘できないが、論理の飛躍に満ちている。
非難すべき点を見つけようものなら、とことん非難する。
最初から批判を展開し、論理の飛躍を巧みに操りながら、全力で叩きまくる。
人間関係で言うなら、嫌いになった相手の嫌なところを論(あげつら)えるばかりで、相手のよい点を認めようとしない。
僕の知り合いに、意見が対立したときに「じゃあ賛成派と反対派に別れて意見をまとめてこよう。俺反対派ね。」と言ってはなから自分の意見に固執する人物がいるが、これも意味が分からない。
賛成派と反対派に別れるなんて小学生のディベートじゃないんだから、もっと建設的な意見を出してほしい。
確かにそういう議論の方法もあるのだが、それはアイデア出しが終わった後に出た案を吟味していくときに主に使う手法であって、しかも賛成と反対の役割を交代して行うのが普通で、フェーズも手法も違うと思う。

こういう人とか、上記のような教授の意見ほど、結局非難するだけで代案を出さなかったり、非難した点に対して一つひとつ丁寧に解決策を示そうとはしない。
もしくは、現実に即していなかったり、現実に適用できない理論だったりする。
教授の方々が学生や学外の人、遊びに来ている周辺住民の方のことを疎ましく言いつつ(これはキャンドルナイト企画を大学にもっていったときにその風土を実感した)、薄暗い教授室で日々黙々と研究している内容は、基本的に人間の性善説に基づいた理論でしかない。
彼らが口うるさく批判する「市場では各主体は対等、均衡で完全雇用が実現」「人間全てが合理的経済人」等々と同じくらい批判したい内容はいくつかある。
ごくごく簡潔にまとめてしまえば、そこに欠けているのは、現実性と人間性という視点だと思う。
十人十色と言われるように、人間は千差万別。
その人間全てを一括りにして論じるものだから、いくら弱者の味方を謳った口当たりのよい理論でも、現実世界にはあまり意味を持たない。
彼らは、十分な環境を与えれば、人間全てが生きる気力と働く意欲を持ち、モラルハザードも最小限に押さえられると信じている。人間全てが働けること(この前の授業では完全雇用に変わる概念として完全従事と称されていた)がよいことだと信じている。
でも、綺麗だったり汚れていたりぼやけていたりやけにはっきりしていたりと、世の中は落ち着いてみればもっと違った色をしている。
そもそも、彼らは受験勉強に勝利し、現在基本的には何不自由ない生活を送っている大学教授である。
彼らが経済的、社会的などあらゆる弱者に対して現実的に何もアクションを起こしていないのだから、全くもって説得力などない。
まあ個人的には、基金を設立して毎月給与の半額を寄付しています、とかいうなら説得力があると思うけれど。

さて、この考えもいつまでもつかな。
偉そうなことを言う前に自分の問題を何とかしないといけないしな。
結局は、「教授の意見はもっともです!僕もそう思います!」的な、いわゆる優等生のいい子が書いたレポートを提出するわけだし。
レポート上で教授と議論したところで意味がないと思うし。


ちなみに、最近感銘を受けた言葉は
「自分に出来ることではなく、自分のすべきことをしろ」
これはもともとタスクに対する心構えをいった言葉だ(と思う)けれど、別に人生一般に広く当てはまる。
出来ることを探して精一杯やることも大切だが、自分の能力を超えていてもなすべきことに対して全力で向かっていく。これからの段階では必須の考え方になりそうです。

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