生きていること
今日は、雨。
いつものように電車に乗り込む。雨の割りに心なしか空いている。
ふと、ある女性が目に留まった。
なんというか、顔に生気がない。
病的に青白い印象さえ受ける。
「あぁ、この人疲れてるんだろうな」
僕は単純にそう思った。
ごく、単純に。
でも、世の中はそこまで単純に出来てはいないようだ。
その女性は袖の長い、薄手のカーディガンを着ていたのだが、ふとみると、その女性が袖をまくって自分の腕を眺めていた。
そこには、傷があった。
怪我・・・ではない。
いわゆる、リストカットであろう。
生傷が、数え切れないくらいにある。
本当に、数え切れないくらい。
初めて見たこともあり、僕は不覚にも、背筋がぞくっとした。
第一印象に納得したと同時に。
リストカットに至る経緯はいろいろとあるのだろうが、僕が聞いた話では、この種の自傷行為の心理は「自殺願望はなく、自分が生きているという実感を得たい」というものだった気がする。
もしくは、それに順ずる内容だ。
もちろん、人によって千差万別だろうが。
この人がもしそうであるとすれば・・・。
僕は、どうなのだろう。
僕の周りの人たちは。
僕は、疑問を持ち続けなければならない。
考え続けなければならない。
あなたはどうか。
コメント
初投稿(?)です。いつも楽しませてもらってます。ありがとう。で、リストカットする人って、自分の中ではその傷をなるべき人目に晒すようなことはしないと思っていたんだけど(しかも電車の中なんて公の場で・・)その人は違ったんですね。「私はこんなに苦しんでる。」と訴えているようですね。周りの人間はたまったものじゃありませんが。
最近、自殺する勇気が有ればなんでもできる。なんてことを考えました。自分が死ぬという最上の恐怖を克服する訳だから。
その心理っていうのは「死にたくない気持ち(本能)=生きてる実感」ってことなんでしょうか、それとも単純に外傷が実際痛いってことかな。なんにせよ、自分を傷つけることでしか生きてる実感が得られないっていうのは辛い。
投稿者: Iっくん | July 3, 2005 11:59 PM
>Iっくん
コメントさんくす☆
>その心理っていうのは「死にたくない気持ち(本能)=生きてる実感」
>ってことなんでしょうか、それとも単純に外傷が実際痛いってことかな。
>なんにせよ、自分を傷つけることでしか生きてる実感が得られないっていうのは辛い。
これは確か後者だった気が。実際痛くて、さらに血が出る。そこに生きている実感があるという話だった気がする。
Iっくんとは違い、僕は死ぬ気になっても出来ないことはたくさんあると思うが(別にどっちが正しいとかではなく)、とりあえず『死』というものが自分の一部であり『生』と切り離せないということを頭では考えている。それが実感にまで引きあがったなら、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に描かれているような生死観をもって生きていたいと思うっす。まだ明日には死ねないなぁ。
投稿者: さわもち | July 5, 2005 01:17 AM