選択的記憶と意識に語りかける情報
昨日とある会で、こんな話が出た。
ある、銀行・証券を志して金融関連の何かを学ぼうとしている人の発言。
私は、A社の株を持っていました。その時は一株1300円。ちょうどその頃に、B証券がリサーチ部門の発表として、こんな見解を出したんです。「A社の株は、この先数ヶ月で1000円程度に落ち着くだろう」で、よくよく調べてみたら、そのB証券はその発表後にA社の株を6%も新規に取得している。これってひどすぎると思いませんか?確かにリサーチ部門と投資部門は独立していますがそれにしても・・・。
とのこと。
ちなみにそのA社は東証一部上場の家電量販店で、資本金は200億弱あるので本当であれば6%というのは相当の金額を動かしていることになります。
個人的にその話の真偽に興味はないし (ちなみに現在の株価は1500円以上)、とやかく言うつもりもないのですが、この話を聞いて思ったことがあり、エントリに書こうと思ったのでご紹介。
ちなみに僕は証券・金融にあまり興味も知識も薄いし、細かいところでは突っ込みどころは満載だと思います。ご容赦あれ。
僕の思ったことは、表題にある通り「あなた(もしくは人間自体)の記憶が選択的なのではないのか」「証券会社の戦略として当然ではないのか」ということである。
まず、選択的記憶について。
状況と証券会社の選択肢を考慮すると、ケースは6つしかないと思われる。
株価の評価が、上がる・そのまま・下がる。
株を買う (もしくは売らない) ・買わない (もしくは売る)。
証券会社の選択肢は、現在株を持っている持っていないの別があるが、同等の評価をしていると考えてよいだろう。
すると、この組み合わせ6つ。
合理的に考えると下がる株を買わないし上がる株を買うが、ここでは「実際の株価変動に関する話はでていない(もしくは評価されただけの段階)」ので、全てが明確に選択肢として存在しうることになる。
そもそも単なる「評価」なのだから、どの選択肢を取ろうと全く問題ない。
膨大な株取引に、たった6種類のケース。
ここで考えられるのは、たまたまこの人がこの証券会社の行動の矛盾に気づいたということである。
この人のように興味を持ってみているのであれば、恐らく同等の情報には幾度となくふれているだろう。
たまたま、証券会社Bのリリースを読み、株価のその後をチェックし(株主だし)、発見したに過ぎないという仮説が立つ。
とまぁ、ここまでは確率論、印象論。
次に、証券会社側からだけ見た場合。
上記に、株式に関する見通しの情報をリリースする・しないという二つの選択肢が加わる。
どう考えてもこれは戦略として慎重に選ぶだろう。
恐らく集まっている情報は、不確実性の高いもの低いもの、非常にインサイダーなものから一般的なものまで多種あるだろう。
あなたならどうするか。
情報を自分にとって都合のいいようにリリースし、都合のいいように内部に留保して使うだろう。わざわざリサーチ部門を設けて集めて分析した情報だもの。いくら部門が独立していたって、内部で情報をやり取りしないわけがない。
ただ確かに、社会に出て評価を受けるのだからいい加減な情報をリリースするわけに行かない。
しかし、百発百中が当たり前の世界ではないのだから、多少の見解のミスは問題にならない。だって所詮は「評価」とか「見通し」だもの。
それどころか、どちらかといえば「当たったらすごいですね」的要素もあるだろう。
そしてここで証券会社の戦略として「マイナス要素だけを発表し、プラス要素を隠す」またはその反対などのケースが挙げられる。
要するに、意図的に人間の行動を作り出す(もしくは促す)ことである。
マイナス要素を発表すれば、当然株価は下がる。
リサーチ部門なら、説得性のある確度の高い情報をリリースできるだろう。
マーケットが反応する。
株価は多少下がるだろう。
そこに買いをいれる。
プラス要素の方がでかいから。
するとこの買いに反応して株式市場全体が今度は買いの気配を見せるかもしれない。
この段階でプラス要素をリリースしたり外に漏れ出すように仕組めば確信犯決定である。
その反対の手も取ることができる。
あからさまにこんな手を取り続けることは出来ないかもしれないけれども、そもそも情報において圧倒的優位にあるのは証券会社なのだから、一見不可解な行動は、合理的戦略として捉えるに足る説得力がある。
証券会社は、そのようにマーケットが動く効果を多少なり期待してリリースを出しているのは間違いない。もしくは効果を期待していなくとも、自分達の情報がマーケットに与える影響については十二分に認識しているはずである。
結局、何が言いたいのかというと、気づいたのはたまたまだし証券会社のやりそうなことじゃん、ということ。
理論は後付けの部分もあるが、話を聞いて直感的に感じたことである。
これに関連して、前から紹介しようと思っていた話がある。
リサーチ結果は世論(?)を作る、という考えだ。
これはある方の話で妙に納得したのだが、僕なりの解釈ではこうなる。
例えば、次のようなリサーチ結果が出ていたらどのように感じるだろうか。
デジタルオーディオプレーヤー購入実態調査
対象:全国のデジタルオーディオプレーヤー所持者
サンプル数:600
モニターのセグメント:各年代で男女同数
20代150人、30代…
[所有台数シェア]
apple iPod 87%
sony walkman 8%
…
「やっぱりiPodシリーズは圧倒的だな」と感じるだろう。
僕はこの真偽についてとやかく言うつもりはない (もともと全く根拠がないし)。
重要なのは、この情報で"apple iPod 87%の台数シェア"が頭にインプットされることにある。
もしデジタルオーディオプレーヤーの購入する意思があったら、この情報によって商品選定に大きな影響を及ぼすことは何となく感覚として理解できる。たとえ「多い」と感じたにしろ「少ない」と感じたにしろ、何らかの影響を受ける。
その台数シェアが事実であろうとなかろうと、その情報が行動や思考に影響をもたらしてしまうのである。
よく言えばマーケティングその他に応用できるのだが、受け取り方次第では…と功罪を併せ持っている。
中学校でも習う有名な話では「アナウンスメント効果」がある。
選挙などで「○×党苦戦!」などと報道されると、その党の潜在的支持者の投票行動が喚起され何もなければ入らなかった票が多数入り、最終的には楽勝につながったりする、といった内容である。
本当に苦戦していたかどうかの真偽は、別にどちらでも構わない (もちろん意図的な報道であれば大問題になってしまうが)。
一番重要なのは、それによって影響を受け、行動した人が不特定多数存在することである。
情報は、望めば限りない量を手に入れることが出来る。
それはこの数年間で言葉で表せないくらい飛躍した。
しかしそれを受け取る人間のリテラシが変わらないままでは怖いなーというお話。株の話にしろ、個人投資家って飛躍的に増えてますよね。ちょっと疑問を持ったり、自分の考えと照らし合わせるだけでいいと思うのですが。
世界を動かすのは、大衆であって人ではない。
長くなったくせにそんなよく分からないオチになってしまってちょっと困ったな。
今回はこれにておしまいです。