ちょっとした歴史に関するぼやき
最近、Life is beautifulが炎上気味である。
いったい何年たったら、従軍慰安婦問題や南京大虐殺などの過去の亡霊から日本は開放されるのだろう。
「人間の弱さ」と「先祖の名誉」と
前々から謎なのだが、何故こういった時だけ炎上気味に議論が白熱するのだろう。
そして思うのだが、こういったところに攻撃的なコメントを書く人に限って、論理が矛盾していたり、理解が不足していたりする。
大体言いたいことだけを言って聞く耳を持たない感じで、まともな攻撃的コメントを見たことがない。
もちろん、攻撃対象が明らかに間違っている場合は除くけれども。
ここでは僕は特に上記エントリに関しては意見を挟まないが、僕が思うことを二点。
一つ目。僕は「歴史修正主義」という言葉が好きである。
何故なら、この言葉には端的に「歴史とは恣意的に書かれるもので事実とは必ずしも関係がない」ことを示していると思うからである。
主流派の歴史。歴史修正主義派の歴史。
どちらにしたって恣意的に決定されるもので、歴史認識や事実認定の議論は、はっきり言って水掛け論。
ここに二点目がある。僕は「証拠や証言が真実とは無関係である」と考えている。
事実や真実とは、その時その場所にしか存在せず、証拠が存在したからといってそれが真実を示すとは限らない。
かの名探偵は言いました:「真実は、いつも一つ!」
確かにその通りだが、真実が消されたらどうしようもない。
証拠が隠滅されてしまった、恣意的に作られた証拠、証拠自体が事実を正確に示していない、そもそも証拠が存在しない、等々、可能性はいくらもある。
証拠の確かさとは、可能性の議論でしかない。
「よりこちらの証拠が確かだったらしい」の積み重ね。
その積み重ねも、比重は力関係によって簡単に変わってしまう。
政治が歴史の上にしか立脚できないと言ってしまえば、確かに歴史は一意に決定されていることが望ましい。
しかし個人的には、歴史と無関係であっても、政治に取るべき手段はあるのではないかと思う。