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June 23, 2007

イースターエッグ的なものを…

サイトを翻訳する管理者権限を持っているのだけれど、日本語が分かるのは僕だけなので、悪乗りしてイースターエッグ的なものを作ってみた。
ただし、スクリプトを埋め込んでシステムをどうのこうのということはしないので、単に表示されるだけですが。

Dailymotion

わりと分かりやすいところに僕の出身地に関する情報が載っています。
それと、ちょっと笑える訳を何個か作ってあります。と言っても大幅に変えたわけではなくて、もともと変な訳だったものを、本来の意味は通じるんだけどそりゃ変だろという訳に変えたりしました。

まだ100%日本語対応しているわけじゃないし、少しくらい変な訳があった方が愛嬌があっていいでしょう。
対応率が上がったら消すかもしれないので、暇だったら探してみてください…。
僕が関わって変更した内容は26日くらいに本サイトに反映する予定だとのことです。
一応優先順位を切っているので、普通のユーザーが普通に使う分には日本語対応度が100%近くなる…と願っています。


日本が…見えてきました。
が、日本へ帰る大きな目的が3つ全て準備不足です。
このままだと前日寝れません。
飛行機の中でも寝れません。
もっと先にやっとけよ、漏れ…。
いつものことですが。

June 15, 2007

三次元の思考

最近思うのだけれど、考えを組み立てたり伝えるために必要な構造は、三次元なのだと思う。
三次元という発想は実はそのまま受け売りなのだけれど、ここへ来て実感する。

まず、メッセージを明確にする。
何を伝えるのか。何が結論なのか。

そのメッセージを、水平方向に要素や原因などに分解する。
結論に至るには何と何が必要なのか。理由は何なのか。原因は何なのか。

その各要素や原因を、垂直方向に掘り下げる。
理由が結論に至る過程を支持する補論。原因と結果の関係性。

そうして列挙された各項目毎の関連を確認する。その関係性と、最初に定義したメッセージとの関連に注意しつつ、順番や水平・垂直の関係を調整する。
水平*垂直方向の三次元に散らばった要素が相互に関連していたり、実は相反するものだったり。
例えば、最初に考えた時点でAとBは水平方向に並んだ並列の要素で、Aという要素の下にa1が、Bという要素の下にb1が付随していたとする。それはもしかしたら、Aの下にa1、a1の下にB、さらにその下にb1という関係かもしれない。

最後に全体の構造を見返して、全体として一貫性があるかどうかをチェックする。
これを山に例えるとすると、伝えるべきメッセージが山頂。
富士山に熱帯雨林があったらおかしいし、山が半分欠けているような形になっていても困る。
全体に整合性があり、一貫してメッセージを支持しているかどうか。つまり山としての形をなしているか、ということですね。
別に支持していなくても「ここはこうなっているので、この理由はもしかしたら間違っているかもしれない」みたいな補足があってもいいのだけれど。

補足:
原因は垂直方向じゃないのかという突っ込みはご勘弁を…。分解して横に広げるのが主眼だと思っていただきたい…。分解していくときに垂直と水平両方に広がりを持つのは承知の上です。イメージとしては一つの話題を面で捉えて、各面が重ならないように、間が空かないように漏れなくダブりなく広げていく感じです。
あとこれなら二次元じゃない?というご指摘もあるかと思いますが、僕の考えでは、横に広げるとき「領域」を持っていると考えています。並列する話題でも広さや形が異なるわけです。そうすると線の概念ではカバーできません。

思い返してみると、2~3年前は全く意識していなかった。なので構造化されているときとされていないときがある。内容に対して質問をされて答えているうちに「ああ僕はちゃんと構造化していたんだな」と気づいたこともある。
1~2年前は、意識していたけど、明確に構造を意識していたわけではなくて、構造に至る過程だけを意識していた。各論を具体化させる、個々の理由が伝えるべきメッセージにあっているか等々。
その後は、明確に構造を意識して、可視化するようになった。こうなってくると、すごく細かな点をチェックしていても、なんとなく自然に全体との整合性やメッセージとの関連性を常に考えるようになると思う。

さてさて。明日は最後のテスト也。

June 05, 2007

願うべきこと

テスト勉強をひと段落つけて午前3時。
バルコニーで一息ついていると、流れ星が。
「これは何か願い事をしなくては」と思い、手を合わせて目を閉じる。

「はて?何をお願いしよう?」

身近な人の息災以外に、特にこれといって星に願いをかけるようなこともない。
自分の無力を呪うことはあっても、僕には願う言葉はない。祈るような神もいない。
何だかつまらない奴だと自分でも思うけれど、僕には自分で実現したいことはあっても何か願うようなことはない。実現したいことは願うようなことではなく、過去と現在の積み重ねの上に存在すると思っている。

では何を祈ろう?

息災だけお祈りしておいた。

願うことや祈るべきものがあるということは、それ自体が救いなのかもしれないと思った今日この頃。